![]() (写真提供:織田さん)
昭和37年11月20日、石炭政策転換闘争のため上京。その通産省前における西部第5大隊第21中隊第2小隊3班。
その1年後の昭和38年11月9日、三井三池三川坑で大爆発が発生した。そんな中、写真後列左端に写っている宮島重信さんは、
その時被災し、意識不明ながらも24時間振りに坑底から引揚げられ、かろうじて一命は取りとめた。しかし、命は助かったものの、
CO患者となって熊本大学付属病院で10年間闘病生活を強いられることになる。その間、一度も意識を回復することはなかった。
鼻には管が通され流動食が送られた。喉はタンを吸い取るために切り裂かれた。頭髪は抜け落ち、床ずれした背中や腰は腐食し、
一部骨が露出さえしていた。そして、両親や兄の不眠不休の看病もむなしく、1974年1月6日、ついに一言も発することもなく、息
をひきとった。まだ33歳だった。また、それより先の事故から5年後、兄もまた看病疲れからくる過労により亡くなっている。
(写真提供:atukoさん)
東京・はとバスのりば(写真提供:reikoさん)
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